東濃檜
2006 / 04 / 30 ( Sun ) 日本には秋田杉、吉野杉、北山杉、木曽檜という銘木があります。
同じ杉や檜でも、これらはなぜ銘木と言われるようになったのでしょう? 樹木は種類によって、生育に適した環境があります。 自然の条件に恵まれて(恵まれるというと良い環境と思い勝ちですが、木にとって厳しい環境のほうが人間には恵まれたということでしょうか…) 産地が作り出したといってもいい銘木が秋田杉、吉野杉、北山杉、木曽檜なのです。 屋久杉や伊豆七島の桑などは、温暖な地方に育ったのですが、雨が多く、風が強いことが育てた銘木といわれています。 とりわけ、秋田杉、吉野杉、木曽檜は日本三大美林としてもてはやされています。 秋田杉、吉野杉 筋がなく通直で、目が細かく、年輪は均一で、特有の淡紅色をおび、優美な色と香り ![]() (この写真は秋田杉、吉野杉のような銘木ではありません。たぶん岐阜産かな…) 木曽檜 4寸の柱を採取するまで90年、100年という贅沢な時間をかけ育つため、心地よい香気を放つ、細かく美しい木目を持つ 耐久性と強度に優れ、加工も容易で狂いも少ないことから、世界でも指折りの優れた建材 木曽檜には天然と植林されたものがあります。 天然木曽檜 700〜800年成長するといわれている。 300〜350年のものが主体。 400年前は戦国時代で、大阪城の大黒柱など豊臣秀吉ら戦国武将の私有財産であるお城の材料として、切り尽くされたため400年以上の木がない。 木一本首一つ: 遠く平安時代から、すぐれた建築材として知られていた木曽檜。とくに豊臣秀吉は、木曽谷を直轄領にして、木曽檜を築城などに利用しました。江戸時代には各地で城下町が繁栄し、木曽の山々から大量の檜が切り出されるようになり、木曽の山々は大変に荒れ、木曽檜も少なくなりました。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩は「木一本、首一つ」という厳しいおふれを出して、木曽の檜を守りはじめました。その甲斐あって、今日の木曽檜の山々が蘇りました。明治時代から、木曽檜の山々の大部分が「御料林」と呼ばれる皇室の財産となり、戦後は国有林として厳重に管理されています。 木曽檜 天然木曽檜から種を取り人工林の木曽檜の苗を作り、明治の先人が背中に苗木を背負って山へ植えました。 その非常に優れた耐久性と強度を受け継ぐ木が現在80年〜90年の木曽檜となり住宅建材に使われています。 東濃檜(木曽東濃檜) 世界的に有名な銘柄材である木曾檜の種を採取し、苗畑で育成苗木を植林し、岐阜県東部、東濃地域と呼ばれる木曽川・飛騨川流域から産出される東濃檜となり住宅建材に使われています。 東濃地域は一般的に痩せ地で、年間降水量が少なく、気温の寒暖差が大きい、気候条件の厳しい土地です。そこで育った檜は、年輪が緻密で狂いが少なく、強度に優れ建築用材に最も適した木材です。 ![]() (この写真は東濃檜です。すごく目が細かいですよね。) 現在の木曽檜、東濃檜は天然木曽檜の子供なのです。 そして、自然の条件に恵まれて産地が作り出した銘木となりました。 檜の耐久年数は以下のように言われています。 天然木曽檜 400年×3倍=1,200年 木曽檜・東濃檜 80年×3倍=240年 他産地 20年×3倍=60年 (檜の性質については、以前書いた記事、”土台に適した木材”をご覧下さいね。) そのため、芸能人やお金持ちの方は遠方からわざわざ木曽檜や東濃檜を求められるそうです。 そうすると、運送費がかかるため当然、お値段も高くなります… 岐阜や長野近県で建てる方は、関東で木曽檜や東濃檜を使ったお家の6割ほどのお値段で同じお家を建てることが出来るそうです。 東濃檜使用を前面に出しているハウスメーカーさんは、あざ美が周った中では新和建設さん、三和木さん、東日本ハウスさんですが、実は山喜建設さんもそうでした。 ![]() ちゃんと東濃桧の心材を使用。 |
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by: * 2006/05/01 00:22 * [ 編集] | page top↑
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